「家電にいちばん近いPC」と、「PCに近い家電」と

インプレスのPC Watch、「山田祥平のRe:config.sys」の 「家電にいちばん近いPC」という記事で、CES(アメリカの電機メーカー展示会ね)会場でPC関連メーカーのブースが盛況だったことから、PCの家電化が注目されているという話がされていた。


そこまではまぁよくある話なのだが、その後で

「PCは、もっと速くならなければならない。Intelはメインストリーム向けにクアッドコアプロセッサの出荷を始めたが、システム全体としてPCを考えたら、まだまだ遅い。」

という話題に突入。CDのリッピングに数分かかったり、数万枚の画像をブラウズするのに待たされたり、HDDに録画したTVをムーブするのに数十分かかるのでは話にならないからもっとPCの性能は必要だ、というのが1つの論点だ。

ところが、このような処理を高速に行うために開発されたデバイスはもうすでに存在する。PS3だ。PS3はPCと比べれば十分安い。現在はソフトや環境が整っていないものの、記事内で言及されている「家電的情報プラットフォーム」となり得るだけのスペックは備えている。

しかし、環境がもし整ったとして、それが家庭内でPCに置き換わる姿が想像できないのはなぜだろうか。俺が思うに、PS3はあくまで「家電」だからだと思う。

「家電」というのは、その名の通り「家」で共有するものだ。家族一人一人がそれぞれのPS3を持っている家庭なんて俺は想像できない。

ところが、前述の「CDのリッピング」や「数万枚の画像をブラウズ」、「HDDに録画したTVをムーブ」というのはあくまで個人的な作業だ。「家族で音楽を聴く」ということはあるかもしれないが、別に家族皆揃ってリッピングする必要もないだろうし、大体家族全員がすべて同じ音楽を聴いているなんてほぼありえないだろう。画像ブラウズだって、家族でアルバムを見ることはあるだろうが、スライドショーをする場合普通は事前にアルバムにまとめて管理しておくだろう。

一方、ネットは個人のコミュニケーションにおいて重要な位置を占めるようになり、それにアクセスするためのデバイスとしてのPCはますます個人に属するものとなっている。家族全員でメールアドレスやmixiアカウントを共有するなんてあり得ない。

そして、個人がPCを持ち、それがネットで接続される時代では、必ずしも高速なマシンは必要ではない。CDのリッピングはiTunes Storeが代わりにやってくれるし、写真のブラウズ=整理はわざわざ画像を一覧表示しなくても画像管理ソフトが勝手にやってくれる。TVなんか、HDDに録画しなくてもネット経由でストリーミングで見られるのだ。

こう考えると、これからの時代に必要なのはどちらかというと「PCの性能」ではなく、「高速なネットワーク」だ。もちろん超高性能なPCは必要だが、それは個人が所有している必要はない。逆に個人が利用するPC側は持ち運びのしやすさやユーザビリティのほうが重要だ。

記事中では、
これからの10年で、PCシーンがめざさなければならないのは、PCがなければ電子家電は成り立たないという常識を作ることだ。

と述べられている。これは半分同意するが、半分は同意し兼ねる。PCシーンがめざさなければならないのは、「PCが情報に接続する、もしくは情報を制御するためのデバイス」となることだ。そして、それに必要なのはPCのスペックではなく、機器間が簡単に連携できるようにする規格の標準化であり、コンテンツへのアクセスの容易化であり、「コンテンツの囲い込み」を防ぐことだ。

と、長々と書いてきたが、一番記事中で俺が「カチン」ときたのが以下の記述である。
Windows Vistaが重いというけれど、Vista程度のOSを動かすのに四苦八苦するようなPCはPCとして認めたくない。

Windows XPとWindows Vistaで同じことができるのに、なぜVistaだと重いのか。俺は単純な処理をするのにも四苦八苦するようなOSはOSとして認めたくない。

まぁ、実はVistaは重くなかったという話もちらほら聞くので実際はどうか分からんけどね。